ゆれるスカート

しゃくしゃく余裕で暮らしたい

1Q84

村上春樹著『1Q84』を読み終えた。

文庫の全6巻を読破するのにほとんど半年かかった。長かった。でも、読み終えてみるとあっけない。

短くはないその物語を私は、このメタファーに満ちた世界の謎を解き明かしたい、この物語を読み終えたらどんな世界が見えるんだろう、そんな気持ちで読み進めた。

※この先、小説の内容に触れています。気になる方は回避ください。

この物語は、枝葉を削ぎ落とせば、純度の高いラブストーリーだと思う。

幼い頃に約束にも満たない、しかし大いなる理解を交わしたふたりの邂逅。
宿命の再会。

この小説のあらすじを読んだ時点で、私は、この小説が「私の物語である」と思った。

んな、あほな。と、笑ってください。
自分でも馬鹿げていると分かっている。

私はつい最近まで、忘れられない人がいた。私にとって彼の記憶で一番新しいものは小学5年生の時のものである。

私は転校を機に、彼とは今まで11年間会うことはなかった。

しかし、私はほとんど盲目的に彼とまた再会できると信じていた。
約束していたわけではない。
けれど、幼いながらも私は当時、彼と私の関係が友だち以上の関係である自負というか自信みたいなものがあった。

確かめたわけではない、彼の気持ちを。
告白したわけでも、されなわけでもない。
冷静に考えれば馬鹿げている。
私が一方的に好きなだけだったのかもしれない。

でも、不思議とまた会える、いつか結婚できるかもしれないとさえ思っていた。
ほとんどストーカーである。
実際、手紙も書いたし、メールもしたし、バレンタインにチョコレートをポストに投函したりした。
手紙が返ってくることはなく、メールの返信も途絶え、ホワイトデーのお返しもなかった。

仮に小学5年生当時、彼が私を好きだったとしても、現在その気持ちはなくなっている。
あるいは、最初から私を好きではなかった。
その二つの証明が私に突きつけられた。


私は彼を少し前まで本当に好き「だった」。
過去形である。

恋を忘れさせてくれるのは、時間ではない。恋を忘れさせるのは恋である。
新しい恋である。

私は新たに別の人を好きになることで、幼い日の恋を忘れることができたと思う。あるいは、限りなく忘れられたと思う。

実体のない、今はその記憶の姿から大いに成長しているだろう人物に胸を焦がすよりも、
すぐ触れることができ、声が聞け、吐息のかかる距離にいる人物のほうが私の心を占める力が強いことを知る。

私はだから、その新しい恋に感謝している。実らない恋だったけれど。
私は少なくとも前に進めた。
旧い恋から脱却できた。
それはほとんど呪いだった。


1Q84』を読み進めつつ、私は私の今までの人生にこの物語を重ね合わせずにはいられなかった。

青豆と天吾が再会できたように、私もまた彼と再会できるかもしれない。

再会できるにしろ、できないにしろ私は彼を生涯忘れることはないと思う。

かくして、私はこの物語を「私の物語だ」と主張する。
散りばめられた謎を半分も理解できていないのに、だ。


5作目にしてようやく、私は村上春樹の小説が好きなのかもな、と思う。




そして王国がやってくる、待ちきれない。