ゆれるスカート

しゃくしゃく余裕で暮らしたい

night/thgin

新年早々絶望している。(はやいよ)

Facebookに氾濫する、幸せの典型性みたいなものに絶望している。

小・中学校で同級生だった、家が近所の(それはほんとに近い)男子はFacebookに去年を振り返る投稿をしていた。
公私ともに充実していた、と書いていた。
そこには、仕事仲間との和気あふれる写真や彼女らしき女性とのツーショット写真やペアリングの指輪(おそらく結婚指輪)の写真が添えられていた。

私は途端に泣きたくなる。

でも別に、私は彼に恋をしていたわけじゃないから、泣きたくなる必要なんてないはず。

ただ、裏切られた気がした。
彼は違うと思っていた。(なにが)

小・中学とそんなに親しいわけでもなく、成人式ですこし話しただけで私は彼と仲良くなれた気がした。(この時もしかしたら彼を好きになったのかもしれなかった)

成人式当時、彼には彼女がいて(それはFacebookに載っていた彼女とはちがう人。そのことも私を絶望させる)、その事実にすこしショックを受けたのを鮮やかに思い出すことができる。

成人式なんて1年以上前のことだから、彼女が変わっていても、またその変わった彼女と婚約らしきことをしていてもなにも不自然じゃない。
でも、その非不自然さが私は嫌だった。
なんて私とは違っているのだろう。
私はどこでまちがったのだろう。

アパレル系の仕事をしている彼だから、きっと華やかな社交があって、顔も悪くないからモテるのだろう。

着実に彼らは進んでいて、私は進めていない。時が、時代ばかりが過ぎる。
いたずらに老いてゆく。

こんなこと、この先ますます増えてゆくだろう。知人が(親しい親しくないにかかわらず)着実に、彼らの世界を構築していく。それはそれは美しい建築物を。

私は…。

でも、ドロスの洋平さんも「私は私だから」って歌ってるじゃないか。
私は私だ。
私の建築物を構築するんだ。
あるいは理想の建築物に近づけるよう努力するんだ。


空は明日を始めてしまう
例えあたしが息を止めても
                                椎名林檎『同じ夜』


暗い記事でごめんなさい。
ただ文章にしたかった。